【師走】 「あたりまえという奇跡」

 
 
 
 

「ときめくかどうか?」
http://t.co/7WwN3dUj
posted at 23:48:33

 
 
 

お年寄りに対する敬意と、
子どもに対する敬意が同じものであってはならない、
という直覚
posted at 13:53:55

 
 
 

大量生産では作ること届けることができないものは、
めんどうくさい。
でも、めんどうくさいがゆえの
有り難味であり温かみなのだから、
めんどうくさいを括弧に入れてしまっては意味がない。
めんどうくささと向き合おうと思ったら、
広げていくのではなく縮めていくのだ。
縮めて密度を濃くしていく。
posted at 21:30:41

 
 
 

暇な時間をつぶしてはならない。
暇のなかにこそ、至福の時は埋まっている。
posted at 19:05:15

 
 
 

こころが自由にうごいているとき、
からだの存在を忘れている。
posted at 19:53:24

 
 
 

ゲームだったら、
リタイアやリトライができるように設定されていないと、
だれも続けられない。
人生だったら、
リタイアもリトライも設定することはできない。
無慈悲に、容赦なく、
歓びも苦しみも襲いかかってくる。
posted at 20:53:54

 
 
 

あ、なんか障壁がとれてる。
やっぱりはたらくことは、大事だな。
posted at 23:14:19

 
 
 

「健全な好奇心は病に負けない」、
なんて勇気づけられるタイトル。
あたまのなかで反芻してみる。
http://t.co/3bXGCSFN
posted at 22:05:25

 
 
 

「思いわずらうことなく、愉しく生きよ」って、
なんて素晴らしいフレーズなんだろうって、
ふと思った。
本のタイトルだったっけか。
検索はしないでおこう。
posted at 23:56:01

 
 
 

趣味について語ることは苦手である。
いま自分の手元に残っている関心で、
趣味というカテゴリーで語れそうなものは一つもない。
ふと、自分の趣味は、
感じること、考えることにしようかと思った。
うまくできているとは言い難いから、
これは願望だけど。
posted at 15:41:21

 
 
 

「ぼくがいちばん恐れるのは、
「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」
という言葉です。」
http://t.co/Z3mM4dvr
posted at 18:17:52

 
 
 

「こころがいい」
という言い回しを使えば、
お通じがよくなる事柄がいくつもあると思う。
もちろん、こころは偏差値のように
数値化できないものだから、
「あたまがいい」
のように分かりやすくはない。
でも、使いたくなるフレーズ。
posted at 00:08:41

 
 
 

あらゆる情感を呼び覚ますための、無表情。
posted at 09:54:28

 
 
 

「ただ「いい」って言ってればいいんじゃないかな?
「いいねぇ」って。」
http://t.co/1fWi6iVi
posted at 22:17:53

 
 
 

寂しさや孤独というものを、
骨の髄まで知悉しているから、
「有り難い」という気持ちが自然に沸き出でてくる。
それは、言葉よりもむしろ、表情や姿勢のなかに、
色濃く表現される。
今日出会ったあの老婆は、
有り難いということを心の底から表現しているような気がした。
末端にこそ、温もりがある。
posted at 20:11:31

 
 
 

「客体が存在しないかぎり
主体は存在しない。
客体と主体の間の区別がない状態にあっては,
主体は存在しない。」
http://t.co/HT2JmIvT
posted at 14:59:00

 
 
 

「そして、このごろ思う。
言葉の裏に言葉を発した者の
心がちゃんと存在しているとき、
言葉は膨らみと温かさを獲得するのだと。」
by あさのあつこ
(111212 朝日)
posted at 19:52:44

 
 
 

かたちあるものは、いつかかたちのないもの。
posted at 20:28:45

 
 
 

「あてはめる」のではなく、
「あてはまる」ことばを探す。
あてはめると味気なくなる。
どこかにあったフレームに収めて、
悦に入っている。
ことばの手前で浮かび上がってくる情感に、
あてはまることばを探す。
あらかじめ用意されているフレームを、
いまはじめて発見したかのように使う。
posted at 23:46:35

 
 
 

辻邦生さんが語っていた
「歴史的存在」という切り口から、
邦流と韓流のちがいを
かんがえていくことができそうだ。
posted at 12:21:34

 
 
 

「「寂しい」のある場所は
いちばん触っちゃいけない粘膜です。」
http://t.co/xuwR0pu9
posted at 19:36:01

 
 
 

「その5%のほうが目立つんですよね、
ついつい気になってしまう。
ですから、うなづいてくれている95%の
人々のことを忘れないよう、
ぼくは気をつけるようにしているんです。」
http://t.co/KDdgjzHv
posted at 00:10:29

 
 
 

「有り難い」は、
「当たり前という奇跡」を生きるための技術である。
posted at 15:40:32

 
 
 

「とくべつなことは、しない」。
日頃から、とくべつなことばかりを考え、
とくべつなことばかり探していると、
とくべつなことが何であるのか分からなくなってしまう。
「あたりまえという奇跡」
を丹念に生きる中で、
とくべつの意味が自然に浮かび上がってくる。
「あたりまえ」をもっとなぞりたい。
posted at 14:19:09

 
 
 

「国誉め」のイラストレーション。
posted at 20:38:01

 
  
 

回答は未知を閉ざす。
連想は未知を広げる。
posted at 00:46:29

 
 
 

ヒトをモノのようにあつかうのではなく、
モノをヒトのようにあつかう。
そこから、はじまる。
posted at 22:38:29

 
 
 

煙草を片手に、
愚痴をこぼしながら
懸命に走り回る宅急便のおじちゃんが、
子どもたちの目には
サンタクロースのように見えているんだろうな。
そういうものが、わたしは好きだ。
posted at 23:02:26

 
 
 

「たぶん「鈴の音」は人によって聞こえたり聞こえなかったりする。
人によって聞こえる「音色」がちがうこともある。」
http://t.co/48TFr2vW
posted at 00:08:48

 
 
 

冷静であれば、小出しにできる。
posted at 11:10:40

 
  
 

不可能性から、這ってきた。
不可能性から、始めてきた。
posted at 14:01:06

 
 
 

「たいしたこといえない」を、つづけていく。
「たいしたこといえる」を、うたがっていく。
posted at 22:04:35

 
 
 

「供養というのはいい考え方。
上手な捨て方を見つけたときに思いきれるもの。
思いきるために、何らかの儀式化を考えることはよいこと」
http://t.co/482maR5x
posted at 23:16:12

 
 
 

じぶんのことばであって、
じぶんのことばでない。
ことばのことば、
ばのことば。
posted at 00:39:15

 
 
 

過去の自分から送られたパスを、
未来の自分にパス回しするための編集作業。
posted at 15:18:16

 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【霜月】 三年寝太郎の夢  

 
 
 

「草庵は明晰な学習方針をもっていた。
ひとつは「掩巻」(えんかん)で、
これは書物を少し読んだら、
そこでいったんそれを伏せて
その内実を味わうようにするという学習法である。」
http://t.co/gD0p0izE
posted at 00:58:06

 
 
 

三年寝太郎は、
寝ているあいだにどんな夢を見たのだろう。
もしかしたら、
その夢のなかに、
真実の物語が隠されていたりして。
posted at 12:26:28

 
 
 

「気分」というのは、
それに流されるものだけれど、
同時に透徹した眼差でそれを眺め、
絶えず捕捉していくものでもある。
「私は・・・つねに小さな手帖を携行し、
それこそ蝶を捉えるように
心のなかに明滅する思念を書きとめようと計ったのだ」
(「「パリの手記」について」より)。
posted at 14:31:49

 
 
 

Let it be。
「なるがまま」。
posted at 23:50:38

 
 
 

「年老いても咲きたての薔薇
柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナがかくされている
きっと・・・」
(茨木のりこ 「汲む」より)
posted at 17:46:36

 
 
 

もういちど、
物語の世界をじぶんのなかに流し込んで、
枯渇しているイメージに水をやりたいと思う。
音楽の物語、映像の物語、言葉の物語。
物語はむこうからやってきて、
こちらでふくらまして、
あじわって詩になる。
こだまのように、ひろがっていく。
posted at 00:19:36

 
 
 

「「気分」が、「自分」とは別のものだというふうに
考えられるようになって以来、
自分が味わっているひどい気分を、
いくぶん客観視できるようになったということだ。」
http://t.co/SHx22Hl1
posted at 12:18:59

 
 
 

外の世界がなければ、
内なる衝動はない。
内なる衝動は、
外の世界によって、引き出されるもの。
吐き出しているつもりが、
引き出されている。
posted at 03:33:27

 
 
 

「ふくらみ」を大事にしたい。
「ふくらみ」がなければ、
どんなに美しい世界であっても、
それを美しいと感じられなくなってしまう。
そんな思いにとらわれる。
posted at 20:53:23

 
 
 

酔うようなものである。
でも、気分に酔うのではなく、
気分を感じながら明晰に酔うのである。
posted at 00:43:18

 
 
 

ちょっとしたことで、
がらがらと崩れ落ちてしまう脆弱なものであっても、
常日頃から積み上げられるものは積み上げておこう。
その行為じたいに、
自分が支えられているのだから。
posted at 16:35:26

 
 
 

皿洗いが楽しいと思えるか否かは、
大事なバロメータである。
posted at 22:53:17

 
 
 

「蛙は大海は知らないかもしれませんが、
どんどん足元を掘っていくと、
海の底の地層と同じ地層が現れるのだと思う。
それぞれが足元を掘れば、
共有できるものがあるはずで、
それが人間の根源的なものなんじゃないかと。」
by 束芋さん
(110903 朝日be)
posted at 23:39:09

 
 
 

日が西に傾きはじめた時間。
強い日差しを感じながら、
自転車にまたがった瞬間、
なんともいえない歓びの感情が、体内に充満してくる。
この感覚を味わうのは何か月ぶりだろう。
自由に動く身体の存在は、
何物にも代え難い宝物である。
posted at 17:12:35

 
 
 

環境を敵にしてはいけない。
たとえ毒にまみれた環境だとしても、
気持ちよく泳ぐ。
posted at 13:50:09

 
 
 

世界の美しさを、
こころのふくらみをもって感じられるような仕方で、
はたらきたい。
posted at 19:44:33

 
 
 

おわりから、はじまりを見つめる。
はじまりから、おわりを見つめる。
posted at 20:14:02

 
 
 

「楽器を弾くのに似ています。
完璧に演奏できればうれしいし感動する。
水泳も同じで、自分の体の動きが水の中で完璧にフィットすると
素晴らしい感覚があります。」
byイアン・ソープ
http://t.co/EwE3ZmnB 
posted at 22:16:59

 
 
 

景色を食べる。
posted at 14:10:44

 
 
 

ひとのことは文句がいえても、
じぶんのことは文句がいえない。
文句を言っても何一つ解決しないのだから
(ほんとは、ひとに対する文句だって同じなんだけど)
posted at 14:57:37

  
 
 

「あたまがまっしろになる」と
「あたまがからっぽになる」は、
似て非なるものである。
あたまが白く埋め尽くされていては何もでてこないが、
空隙が広がれば抑圧されていたものが羽を伸ばす。
posted at 19:19:53

 
 
 

役に立つものを、
役に立たないものとして眺める。
愛おしさが生まれる。
役に立たない感情。
posted at 19:34:13

 
 
 

弱い心が疼きだしたら、
弱い心を抱きしめる。
弱い心がはしゃぎだしたら、
弱い心を解放させる。
弱い心が泣きべそをかいたら、
弱い心と手をつなぐ。
弱い心が固まったら、
弱い心をユーモアでくるむ。
posted at 22:56:48

 
 
 

弱さからはじまって、
弱さにかえっていく。
生き物の掟。
posted at 22:58:14

 
 
 

期待することは大事だが、
期待が大きすぎると、
期待に押しつぶされて、
期待からかけ離れた代物になる。
期待を込めて、
期待を投げ捨てる。
posted at 15:08:28

 
 
 

壁をぶち破るのではなくて、
壁をとろかす。
とろとろに溶かす。
posted at 20:11:17

   
 
 
 

 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【神無月】 「流れ星」の痕跡 

 
 
 

「人間が健やかであるためには,
内臓から意識に送られてくる信号をやたらと無視しないように,
適当にその方の要求と,調子を合わせていくことがまず大切である」
(池見酉次郎著『自己分析』より)
posted at 01:40:14

 
 
 

ひと段落。
ひと段落ができるって素晴らしい。
日々,ひと段落を積み重ねたいものじゃ。
posted at 16:40:40

 
 
 

感度を保とうと努力するそばから
感度がずるずると逃げていく。
少し前までは、
こんな状態で努力したって意味ないやと思っていたけれど、
今は気持ちが変わっている。
どんな状態でも、積み重ねられるものはある。
それが実感できる限り、希望は逃げない。
posted at 00:15:06

 
 
  

背中で演奏する、背中で運転する。
posted at 00:24:06

 
 
 

イメージを膨らませていくために、
現実をきちんと受け入れて、こなしていく。
現実という重しがあるから、
イメージが豊かに伸びていく。
もしも重しが取れてしまったら、
イメージは膨れて弾け飛ぶ。
そんな、イメージ。
posted at 12:29:46

 
 
 

素顔なんか知らないから楽しめることも、
たくさんあるんだよなあ。
「わからない」から「おもしろい」ということ。
posted at 13:06:08

 
 
 

自然を内から眺めている状態のときは、
それは驚きの対象で、
そこから畏怖の念や崇める心が生じてくる。
でも外から自然を観るようになると、
それは知の対象になり、
観察や分析することが重要視される。
内と外の視点。
posted at 19:59:07

 
 
 

「よきフォロアーシップがリーダーシップをつくる」
by 梅棹忠夫
posted at 19:35:07

 
 
 

惜し気もなく捨てる、
それほどの愉悦があるだろうか。
posted at 21:08:44

 
 
 

切り抜くつもりが、
切り抜かれている。
張り付けるつもりが、
張り付けられている。
posted at 14:11:41

 
 
 

自分が所有しているものとは、
「既知なるもの」。
コレクターは、それを味わい尽くすところに
快感を覚えるのだろうけど、
梅棹さんを駆り立てていたのは、つねに、
「未知なるものへの憧れ」
だった。
だから、惜し気もなく棄てることができたのだと思う。
posted at 14:34:26

 
 
 

どんなに不安な状況に置かれても、
安心していなければならないときがある。
posted at 17:54:59

 
 
 

皿洗いも,アイロンがけも,
楽しい日は,楽しいよ。
そうでない日は,我慢するよ。
一日一日,つづいていく。
posted at 23:35:09

 
 
 

「土中の生き物と一体となり」,,か。
森のなかの生き物と敵対するのではなく,
一緒になって「世渡り」をしていく。
クニ子おばばには,
焼畑のなかから次々に伸びてくる木々の律動や,
菌糸が森を舞う気配,
黙々と落ち葉を土に還す生き物たちの呼吸が
感じられるんだろうな。
味方につけると,豊かだなあ。
posted at 01:30:39

 
 
 

最後まで読み切ると,
そこで終わってしまう。
読み切らないで宙吊りにしておくと,
自分のなかで物語への関心が
いつまでもつづいて深まっていく。
終わらせないためには,
中途半端を怖がらないことが大切だ。
たぶん。
posted at 01:44:08

 
 
 

情報を,
降り積もってくる落ち葉のようにかんがえる。
自分のなかに溜っていく情報が,
意識の働きかけと,無意識の何ものかの力によって,
分解され柔らかくなっていく。
そうして生まれた土壌が肥沃であればあるほど,
新しい芽はぐんぐん伸びていく。
posted at 02:48:56

 
 
 

「死はおそらく,生物にとって最高の発明です。
それは生命にとって,古いものを取り除き,
新しいもののために道を開いてくれる変革の担い手です」
http://t.co/DoBXDnUe
posted at 02:59:25

 
 
 

道に迷って未知に入った。
未知を走って既知に変わった。
既知を走って未知を見つけた。
小さい秋,みつけた。
posted at 15:22:31

 
 
 

背負っていた重い荷物を下ろしたら,
自分で担げるくらいの軽い荷物をひょいと担いでみる。
いつの間にか重い荷物がなくなっていることに気がつく。
posted at 20:24:50

 
 
 

状態が思わしくないときは、
何かと自分を鼓舞する言葉を発して、
気持ちを奮い立たせようとするもの。
鼓舞するような言葉が脳裡に浮かんできたときは、
それに乗っからないで、
だいぶ弱ってるんだということに気づけばいい。
posted at 22:14:27

 
 
 

圧倒的に自分ごとである出来事だからこそ、
客観性が切実に求められる。
正確に状況を伝達できなければ、
助けを呼ぶことはできないもの。
とってもむつかしいことだけれど。
posted at 22:21:40

 
 
 

「多少お皿を割ってもいいから、リズムよく皿洗いしよう」
という心構えのほうが、
「お皿割ったらどうしよう」
とびくびくしながら洗うよりも、
結果的にお皿を割る数は少なくて済む。
posted at 02:08:04

 
 
 
 

タイムラインって、
たえず降り注ぐ流れ星のようなものだな。
流れ星のようなものが、
世界には溢れているな。
posted at 02:36:01

 
 
 

シンプルで、歌いやすいからこそ、
人のこころに強く訴える。
それがいつしか、文脈から切り離されて、
伝えられていく。
記録ではない伝え方のほうが、
ずっと古くずっと長い。
posted at 00:09:14

 
 
 

「現場は常に揺らいでいる。」
http://t.co/clvAmwjB
posted at 22:14:35

 
 
 

河合隼雄さんは、
留学でユングの心理学について学んだのち、
実践するにあたって、
「マンダラなどの用語を
できるかぎり使用しないようにした」
という。
「理論的な前提をもたずに、
患者の心から生じてくるものを、ありのままに見よう」
としたからだ。
さらっと書かれているけど、
すごいことを言っている。
posted at 22:26:31

 
 
 

北杜夫さんの文章は、
軽妙で、リズミカルで、
どこかに脱線していきそうな気配に富んでいる。
対して辻邦生さんの文章は、
理論的で、明晰で、研ぎ澄まされている。
この2人が、旧制松本高校時代からの親友であり、
生業を共にしながら、長く友情をはぐくみつづけたことに、
深い感動をおぼえる。
posted at 15:31:08

 
 
 

俳句と放射線、情報の痕跡。
posted at 15:20:30

 
 
 

ひとつの音は、
鍵盤に触れた瞬間に生成され、
その瞬間から減衰していく。
単音の群れが響きあって形式を織りなす多声音楽は、
ひとつひとつの音の孤独を歌う。
ときに連なり、ときに追いかけあい、
共闘する音の群れは、
しかしすぐに沈黙のなかに消えていく。
その余韻のなかに、音楽を感じる。
posted at 20:32:16

 
 
 

情報とは、
「なにもないこと、存在しないこと」と、
『情報の文明学』には書かれている。
音楽こそ、情報をかんがえるうえで、
いちばん身近な手がかりになるのではないかと思う。
響きのなかの余韻にひたるとき、
音楽はすでに存在しない。
奏でられた瞬間だけ身体と振れあい、
感触だけを残して消えていく。
posted at 20:41:04

 
 
 

むかしは誰でも
とらえることができたけれど、
いまはほとんどの人が
とらえることができなくなったものがあるとしたら、
そのぶんだけ世界から
「意味をもつ情報」は失われている。
でも、情報は、失われても
「もともとないもの」だから
気がつかないんだよな。
posted at 21:19:32

 
 
 

才能を「武器」ととらえると、
2人の「惹き合う感覚」はうまく理解できない。
でも、「贈り物」とかんがえると、すんなりと理解できる。
同じ才能をもっている者同士が、
それを分かち合い、高め合おうとする。
2人とも、「贈り物」の存在を知っていて、
それに忠実に従うことができた文学者だと思う。
posted at 01:15:40

 
 
 

断片的にでも、
とっかかりとツイートに残しておけば、
あとから振り返るときに、だいぶ楽になる。
人間の脳には、意識と無意識のあいだに「前意識」という、
海面の小波のような領域があるそうだ。
過去を振り返る手がかりを残しておくことで、
前意識を動かしやすくすることができる。
posted at 03:13:48

 
 
 

「教師というのはもしかすると「道祖神のようなもの」ではないかと思う。」
http://t.co/a05o6yjv
posted at 01:01:42

 
 
 

「考えても考えても、「いい考え」にはならないんで。
「感じる」ことができたら、「いい考え」が生まれる。」
by 「今日のダーリン」
posted at 13:21:11

 
 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【長月】 アイスクリームと風船爆弾

 
 
 

「「語りたいことが身のうちにあふれているのに、
言葉の使い方がわからない。
そうなって初めて、
その言葉を習得すればいいのだ」」
http://t.co/mqEsyr5
posted at 16:33:42

 
 
 

「ものすごい機械を陸揚げしている。
どんな最新兵器だろうと日本の兵士がこっそり見に行ったら、
アイスクリームの製造器だった。
ここまで兵站を重視する国には勝てないと、
一瞬で悟ったとその光景を見た兵士は戦後述懐しています。」
http://t.co/y55gCBH
posted at 17:05:19

 
 
 

初めから入ったって,
途中から入ったっていいのだ。
そこで遊べればいいのだ。
posted at 21:01:41

 
 
 

「もし「力」が伸びているなら、
それは今の生き方が正しいということですし、
「力」が落ちていれば、
それは今の生き方のどこかに問題があるということです。 」
http://t.co/muNmiYL
posted at 16:40:10

 
 
 

なるべく時間をかけないことを目標にしているけれど,
どうしても時間がかかってしまうことは多々ある。
そういうときに,どこまで冷静に粘れるか。
どこかでさっとモードを切り替えることができれば素敵。
戦争末期のように体力を擦り減らしてまで
ずるずると引きずることがいちばんよくないと思われる。
posted at 00:18:51

 
 
 

手が届きそうなときは、
自然にそのことを想像して、
チャレンジしてみたくなっている。
自分を鼓舞しないと始められないときは、
まだまだ無理をしているということなんだろう。
無理せんと得られないこともありますが。
posted at 19:18:57

 
 
 

始めから順番に入っていくという方法もあるけれど,
終わりから遡っていくという方法もある。
途中のページから入って,
知ったかぶりをしながら読んでいく方法もあるし,
少し読んでほうっておく方法もある。
歴史とは,人生とは,
その様々によって形づくられている。
posted at 02:08:01

 
 
 

「ふ」号作戦の「ふ」は,
「風船爆弾」の「ふ」かあ。
風船爆弾がゆっくりと海上から飛び立つときの姿は,
とても人殺しの兵器には見えなかっただろうな。
posted at 15:09:45

 
 
 

同時代が歴史になってしまえば,
始めから,背景から順番に
読みこんでいくことができるけれど,
それができるのは後世に生きる人間の特権であって,
同時代を生きていた人々は,
否応なくその渦のなかに巻き込まれていた。
何も分からないままページの途中を開くように。
posted at 02:10:31

 
 
 

RT @han_org: なんかいしいひさいちが
ののちゃんの先生に語らせた名言があったよね。ってこれだ。
http://t.co/ya8TMeu
posted at 03:22:49 
 
 

不器用なからだ、器用なこころ。
posted at 19:51:21

 
 
 

どんなに長い人生も、一時間で語ることができるし、
どんなに短い人生も、一時間で語ることはできない。
posted at 21:20:16

 
 
 

気分を大事にしながら、
気分を自由にコントロールできたらいい。
たとえ理性や意思が強くなくても、
ちょっとした工夫で気分を動かすことができると思う。
韓流ドラマのように、気分のパターンを増やしていく。
posted at 14:47:45

 
 
 

現実があるから超現実がある。
posted at 18:52:15

 
 
 

一歩外にでると、
豊穣なイメージが視覚を包む。
自分の状態とは関わりなく、
世界は鮮やかに呼吸を続けている。
それを歓べるような感性でいたい。
posted at 17:38:52

 
 
 

戦後昭和と、戦前昭和を、
同じような気分で眺めてはいけないのだろうな。
そこには、短いとはいえ巨大な断絶があったし、
その断絶と無関係でありえた人は、
ほとんどいなかった。
posted at 17:54:15

 
 
 

歴史があって現在があるのではなくて、
現在があってそこから遡るかたちで歴史が姿を顕す。
現在が変わるたびに、歴史も動いていく。
「歴史的現在」に立つとは、
そこから見えていた
過去・未来を見渡すことなのかもしれない。
posted at 18:15:42

 
 
 

いちばん近くて、いちばん遠い。
posted at 20:54:28

 
 
 

描くと描けないことが分かる。
描けないことが分かると描くためによく見ようとする。
よく見ようするうちに対象との距離が縮まっていく。
そうやって広がっていく,ことを願う。
posted at 16:50:04

 
 
 

やりはじめなければ,
できないことがわからない。
できるためにやるのではなくて,
できないことがしるためにはじめる。
そうやって穴をひろげているうちに,
自然に水が流れ落ちてくる,ことを願う。
posted at 16:52:39

 
 
 

気分に流されたくはないけれど,
気分ほど大事にしたい。
posted at 19:26:01

 
 
 

筋肉ではなく、
神経に働きかける自分なりの
トレーニング方法を見つけられたらな。
筋肉への働きかけは、早晩行き詰まる。
posted at 17:32:29

 
 
 

「整える」ためには,
散らかっていなければならない。
あらかじめ整っているものを
それ以上整えるのはつまらない。
いちばん整えがいがあるものは,
「いったん整えてもまたすぐ散らかってしまうもの」
だと思う。
心や部屋や,頭髪や。。
posted at 01:39:37

 
 
 

部屋も心も,
自分から散らかそうと
思っているわけではなくて,
生活しているうちにいつのまにか
散らかって乱雑になっている。
それを軽減するためには,
一回リセットして終了ではなく,
何度も何度も,
繰り返し整えることが必要になる。
それをたぶん,古人は「基本」と呼んだのかな。
posted at 01:45:48

 
 
 

大相撲が深いんじゃなくて,
人間の身体が深いんだった。
posted at 19:47:43

 
 
 

箱根駅伝で
「山の神」「新・山の神」
と言われた福島県出身の二人は,
たぶんほかの走者とはまったく違った感覚で,
坂道を走っているのだろうな。
山登りが始まるときに,
ほとんど気合いをいれることなく
入っていけるのではなかろか。
posted at 00:23:06

 
 
 

身体のノイズが少なくなれば、
世の中のノイズに耳を傾ける余裕が生まれてくる。
posted at 02:39:04

 
 
 

どんなに足腰に力を備えた巨人でも、
バランスが崩れればいとも簡単に倒れる。
けれど力をもたない痩せ蛙でも、
バランスが崩れなければ倒れない。
重力と仲良く。
posted at 18:12:21

 
 
 

イチローの背面キャッチって、
つまり「可能性」や「想像力」のことなのかな。
posted at 20:39:29

 
 
 

肩に力が入ることは止めようがないから、
肩に力が入っていることを
察知する能力を鍛えてみたいと欲す。
posted at 20:46:51

 
 
 

がむしゃらにやらないことは,
がむしゃらにやることよりむつかしい。
posted at 00:58:06

 
 
 

「指先のコントロールを支えているのは,
実は肩や背中,腰などの大きな筋肉であり,
それが安定するほど,細かな筋肉をより柔軟に動かせる」
(米ピアニスト フライシャー 100109 朝日)
posted at 01:02:58

 
 
 

鉄は熱いうちに打つ。
いったん冷えたらまた熱くする。
そのための方法をいくつも持ちたい。
posted at 17:49:43

 
 
 

触れる前に、触れている。
イメージのなかで、触れている。
posted at 17:54:40

 
 
 

こころを開くのが「知的生活」,
こころをほぐすのが「詩的生活」。
やっぱイトイさんのことばは響く。
posted at 16:53:43

 
 
 

「たとえば,すべて「過ぎる」状態には注意を要する。
親切すぎる,ていねいすぎる,
熱心すぎるといったばあい,
それと反対の心にたいする反動形成ではないかと,
一応注意して観察した方が無難である」
(池見酉次郎著『自己分析』より)
posted at 16:57:36

 
 
 

待っていたらきりがない。
でも,どうしても,
待ちつづけなければならないものがある。
そのために,立ち去りつづける。
posted at 16:58:57

 
 
 

ポリフォニック・ラブ
posted at 00:29:41

 
 
 

「優れた作家が書いているのは、もはや、生き物だ。」
http://t.co/SFcqZdde
posted at 16:24:58

 
 
 

3分診療という「遠回り」
posted at 19:11:25

 
 
 

リニアを走らせてノンリニアに至る。
posted at 20:48:43

 
 
 

「とろかす」ってすごい表現だなあ。
posted at 01:26:28

 
 
 

一握りの「選ばれし者」は,
出世が早いぶんだけ,
人よりも多くの荷物を背負わなければならない。
『ロード・ナンバーワン』で,
平壌での地獄の撤退戦からなんとか帰還したのち,
自責の念から発狂してしまう主人公の姿を見ていて,
そんなことを感じた。
その荷物の重さを理解することはできないけれど。
posted at 18:15:19

 
 
 

水のなかで暮らす生き物は、
水が大気であり、環境のすべてである。
人間が陸上ですることを、
彼らはすべて水のなかで営んでいる。
そんなことを想いながら泳いでいた。
プールには人間しかいないけれど。
posted at 20:20:22

 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【葉月】 ちゃぶだいのがくもん

 
 
 

背面キャッチすることが大事なんじゃなくて、
背面キャッチをイメージすることが大事なんだ。
絶え間なく。
posted at 21:06:01

 
 
 

前例なき道を歩いて初めて、前例ができた。
posted at 18:10:34

 
 
 

言葉をイメージの世界に還していく。
posted at 00:24:17

 
 
 

些細な一歩が巨大な一歩であることもある。
posted at 22:50:02

 
 
 

昨日のニュース9で、
大震災に遭いピアノが弾けなくなったピアノ教師の
エピソードが紹介されていた。
大怪我をしたのでも、(たぶん)技術を失ったのでもない。
でも「ほんとうに」弾けなくなっている。
なにが、音楽とその人のあいだを隔ててしまったのだろう。
なにが埋めていくのだろう。
posted at 09:54:42

 
 
 

子どもを通りすぎると、
子どもが眩しく見えるようになる。
若さを通りすぎると、
若さが眩しく見えるようになる。
だんだんと、若さが眩しく見えるようになってきた。
でもなぜか、悪い気はしない。
posted at 17:17:27

 
 
 

変化をつけること,
ちがう文脈のうえにのせてみること,
「動き」をもたせること。
posted at 17:23:40

 
 
 

ちゃぶだいをかこんで,がくもんしたい。
posted at 22:52:48

 
 
 
 

「ゆっくり,弱く」と,
あともう一つは「おおざっぱに」ということ。
できるだけ大きな動きで全体を掴むことによって,
身体のかかっていたロックをはずしていく。
「ゆっくり,弱く,おおざっぱに」。
そういう感覚で今日は泳いでみた。
posted at 02:53:16

 
 
 

泳げる範囲が拡がれば、
考えられる範囲が拡がる。
泳げる範囲が拡がれば、
楽しめる範囲が拡がる。
posted at 04:15:19

 
 
 

ちゃぶだいみたいな環境が,
いちばん連想が広がりやすいのかもしれない。
そして,いったん広がった連想を,
畳むこともできる。
「大風呂敷」ってそういうもんだよな。
畳めるから自由なんだ。
posted at 04:31:49

 
 
 

ふだん
「わかるわかる」
といっていることにも,
「ちょっとわかる」、から,
「痛みを感じるくらいよくわかる」,まで,
その範囲は幅広い。
その距離感を感じながら,
モノゴトに触れるという姿勢を大切にしたい。
「まったくわからない」
だってひとつの発見だと思う。
posted at 00:07:33

 
 
 

「弱いときとか,苦しい時こそ応援するのがファンだと思う」。
by ottava 清水さん
posted at 19:32:35

 
 
 

「違う」から出発することって,
できそうでなかなかできない。
いつも似通ったものを探して,
それとの関係から意味を求めていこうとする。
でも,じつは
「まったく別のもの」
というところから,
思考をはじめたほうがスリリングなのではあるまいか。
posted at 23:29:03

 
 
 

どんな小さなことにせよ、
成長していると実感できることがあると、
励みになる。
失なっていくものを数えることほど
愚かなことはない。
倒れてから5日目にリハビリを始めた長島監督は、
やっぱりすごいなあ。
posted at 20:56:53

 
 
 

たとえばピアノを弾くとき,
ミスタッチだらけのときだって,
身体の使いかたがうまくいっているときには
進歩している感覚があるし,
ミスなく弾けてもなぞっているだけのときは
違和感が残る。
そういうことがあるんじゃないかなあ。
イチローが一本の凡打から
感覚を掴んだという話を思いだす。
posted at 00:25:36

 
 
 

頭で理解することは言葉,
身体で理解することは感覚。
この二つがつながったときが,
いちばん面白いのだと思うけれど,
そこにはいつもタイムラグがあったり,
渡ることができない橋がある。
この二つを行き来できるような状態を保ちたい。
posted at 01:08:52

 
 
 

『岬そして啓示』
のなかにでてくる「言葉」を
「イメージ」に置き換えて思考したい。
たとえば「言葉の遊戯性」を
「イメージの遊戯性」に。
詩人が言葉によって傾斜していく動きのなかに、
イメージによって傾斜したい。
posted at 18:50:19

 
 
 

自分のなかで意味が見つけられれば、
関わりかたは変わってくる。
意味は与えられるものではない。
自らの力で見つけ出し、
また自らの力で取り戻すものだ。
ぼくは取り戻すことができるだろうか。
posted at 04:39:46

  
 
 

「それを伝えたい相手に,
そのことを徹底して考えてもらう空間をも届けなければならない。
それが「柔らかさ」の秘密なのである。」
(高橋源一郎 110825 朝日 )
posted at 20:53:16

 
 
 

「聴き手はそこに「和音」を聴くこともできるし、
ある一つの楽器のフレーズだけを選択的に聴くこともできる。
この聴き手に与えられている「居住域の広さ」が
聴き手に「ほっとする」感じを与えるのである。」
http://t.co/Ddx0nAK
posted at 20:54:52

 
 
 

「描くということ。
―それはそこに読者を招待することであり,
そのような祭典の場をつくることである。
(中略)読者の想像力がそこに加わることで,
完結するそのような「余地」の残っている場であり,
そのような作業のたのしさが祭典になるのである」
(辻邦生『岬そして啓示』p214より)
posted at 20:59:02

 
 
 

プログラムをつくることはできても、
プレイヤーになることができない。
それが苦しいところだなあ。
気持ちだけはプレイヤーでいよう。
1日一回、「代打、おれ」。
posted at 17:14:21

 
 
 

鋭さの経路を通ることで,
他人ばかりか,自分の思考範囲も狭めている。
それは一方通行の問いかけで,
誰かが入ってくるだけの「余地」がない。
空間を届けるためには,
自分のなかに空間を保持していなければならない。
posted at 22:54:44

 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【文月】 「変化」と「思い出」  

 
 
 
 

「たとえば、音楽とか、歌とか、映画とか、小説とか、
そういう表現されたものは、お酒なんか一滴も飲ませなくても、
酩酊状態をつくり、人を解放する。」
http://www.1101.com/essay/2011-06-29.html
posted at 00:49:47

 
 
 

無為な日々のなかにも
何かしら意味はあるはずだ。
否、人は無為な日々のなかにも
意味を立ち上げることができる生き物であるはずだ。
posted at 23:01:19

 
 
 

愛でることも大事だけれど,
何よりもまず,
対象の「環世界」を理解するところからはじめたい,
と最近思う。
それ抜きにして,その対象の感じ方や動き方を
うまく想像することはできないように思う。
もちろん,この場合の対象は人間だけではありません。
posted at 00:54:08

 
 
 

よく
「相手の身になってかんがえよ」
というフレーズがあるけれど,
ほんとに相手の身になってかんがえることができたら,
もはや怖いものないよな。
相手の身になることがどれほどむつかしいかは,
自分から遠く離れた存在をかんがえている人ほど
理解していることかもしれない。
たとえば粘菌の研究者とか。
posted at 00:57:43

 
 
 

ルーチンワークを日々新鮮な気持ちで
取り組むことができたならすばらしい。
一行目を読み出す気持ちで
最後のページがめくれたならなおすばらしい。
さまざまな苦悩や葛藤を経ても
新鮮な気持ちで朝が迎えられたらきっと神さまが見える。
posted at 02:54:59

 
 
 

少しづつ膨らんでいくゴーヤの実や,
毎日のよう開く黄色い花弁を眺めていると,
見飽きることはない。
でも,ぼくができることといえば,
美しいものを切り揃えることではなく,
混沌とした土をつくりだすことだと思う。
ミミズ・ダンゴムシ・ヤスデなど
ゲテモノと呼ばれる生き物もたくさん生息するような。
posted at 15:01:12

 
 
 

やむことのない情動の変化が,
ときどきぼくを嵐のなかに巻き込んでいく。
そのなかでじたばた暴れもがき苦しみながら,
一方では冷徹なまなざしで渦中の己をあざ笑う自分がいる。
もがき苦しむ姿は,つねに一定の滑稽さを含んでいる。
それが喜劇の出発点となる。
posted at 20:14:18

 
 
 

悪夢のような時間がおわる。
外にでると猛暑。
でもまだ精神は生きている。
身体が痛めつけられ、
生体に血が滲んでも、
精神は美を求めるこころを忘れていない。
なにか一つ、吹っ切れた気がする。
posted at 15:08:09

 
 
 

愛しているから、気がつける。
愛しているから、気がつけない。
posted at 17:45:57

 
 
 

誰人も、自分の身体から逃れることはできない。
たとえ痛めつけられ傷つけられコンプレックスにまみれても、
自分の身体を取り除くことはできない。
「やがては自分を殺すものによってのみ、
自分が生かされている」とは、
徳永進さんの言葉だった。
posted at 17:50:49

 
 
 

またあした,描く。
posted at 00:12:49

 
  
 

寝て寝かそう。起きて起こそう。
posted at 02:08:35

 
 
 

一瞬で水に流れてしまうものを、
どうやって定着させればいいのだろう。
たとえ瞬間しか見えなかったとしても、
たしかにそこに存在したものを、
どうやってことばにすればいいんだろう。
地球のくしゃみのあとの世界で、
かんがえている。
posted at 18:44:08

 
 
 

暑いときは,少しだけやる気の上限を下げてやる。
やる気だけはいつも満ちているつもりだけれど,
それが空回りしてしまっては意味がない。
この国が地震に規定されているように,
身体は気候に規定されている。
負けませう。
posted at 14:19:33

 
 
 

問題にならないことは問題にならない。
いつもいつも,問題になることだけを問題にしてしまう。
でもたまには,問題にならなうことも意識して,
優しくなでてありがとうと言おう。
posted at 23:40:59

 
 
 

「鍛える」
という発想よりも
「刺激する」
という発想のほうが,
ずっとおもしろいことに気がつきつつある。
「鍛える」って使える範囲が狭いうえに,
多くの人はそれほど必要としていない。
けれど,「刺激する」は至るところにあふれている。
日々,刺激され,刺激する。
posted at 00:05:39

 
 
  

自分でコントロールできる範囲って、
けし粒みたいにちっぽけで、
自分じしんのことさえうまくコントロールできないけれど、
それでもコントロールできることはあるし、
新しく見いだせる。
コントロールできること自体が希望なのだと、
原発事故で学んだ。
posted at 02:09:02

 
 
 

触れているかぎり、忘れない。
つまりはどうやって、触れつづける状態をつくるかで。
posted at 15:43:16

 
 
 

かんがえるよりも早くはじまって、
かんがえるよりも早く、おわってる。
みんな、そういうことについて、かんがえている。
追憶のように。
posted at 19:01:46

 
 
 

思うように動かなくなってはじめて、
いままで事故もなく淡々と、
精密な動作を続けていたことに驚きを覚える。
posted at 15:29:15

 
 
 

いままでできなかったことが,
目に見えてできるようになることは,
大人になってからめっきり減ってしまった。
でも,少し継続してスポーツや勉強をつづければ,
そういう瞬間って何度かある。
そういう瞬間があると,
生きている実感や喜びが湧いてくる。
感触として残りつづける。
posted at 20:51:30

 
 
 

動きを止めるために描くのではなく, 
動きを動きのままとして描くことはできないだろうか。
定着することで,
いままでとはちがった仕方で対象が動きだす。
そこに,辻邦生さんが言うような
「芸術的方法」
を見いだせるかもしれない。
posted at 20:04:42

 
 
 

生命は開き結び,広がって閉じる。
いつまでも広がりつづける生命は存在しない。
夏にどれだけ葉を広げようとも,
秋がくれば枯れて朽ちる。
どれだけ巨大な生命も,
やがては一つの種に還る。
そこからまた,はじまる。
posted at 00:47:15

 
 
 

だれかのせいにできないっていうのは
ほんとやり場のないことだよな。
そのやり場のなさを肩代わりしてもらうためにも、
なるべくお地蔵さまや道祖神、
そして各地の精霊たちを生かしておくべきなんだろうな。
人間同士で擦り付けあうのは、切なすぎる。
posted at 00:53:46

 
 
 

人は,ほんの些細な作業であっても,
次にどんな事が起きるのか,
あらかじめ無意識に予測(想像)しながら仕事をしている。
ふだんのルーチンワークがきちんとできているからこそ,
そのリズムで創造的な仕事にうつれる。
予測がうまくできなくなって,
初めてそのことを思い知った。
posted at 19:50:33

 
 
 

ふだん見えないものを見ることによって,
見えないものへの想像力を膨らませていく。
その可能性。。
posted at 19:08:18

 
 
 

変わらない変わらないと思っていても,
いつのまにか顔ぶれは変わっているものなんだよなあ,
と相撲の番付をみていると思う。
いつの間にか変わっていて,
もう二度とは元に戻らない。
懐かしむのは脳みそだけ。
posted at 02:39:02

 
 
 

「時とともにすべての物事は変化していく」
という価値観を,
あらゆる考えの前提に組み込んでみたら,
発想が変わっていくかもしれない。
自然にとって変化は当たり前のことだけれど,
こと人工の物になると,
ついつい後回しにしがちだよなあ。
ほんとは人工だって自然なのだけれど。
posted at 02:56:01

 
 
 

「変化」と「思い出」。
この二つで人間生活はなりたっている,
なんてシンプルにかんがえてみたらどうかしら。
そこから新しい発想がふくらんでくるかしらん。
posted at 02:57:18

 
 
 

変化というと,
社会もふくめた大きな意味を含みがちだから,
まずは
「滞らないこと」
をイメージしてみよう。
うまく流れている状態であること,
その状態をつくりだすことじたいが,
仕事であり目的であること。
これなら個人でも気楽にできる。
posted at 18:59:17

 
 
 

「物見遊山」や「日和見」という,
むかし使われていた本来の意味を知ると,
すがすがしい気持ちになる。
物見遊山は命がけだったし,
日和見ができなけば一人前ではなかった。
本来の意味に触れると,
視界がさーっと開ける感じがするし,
ことばが動かしやすくなるように思う。
posted at 19:43:42

 
 
 

やっぱりぼくはあきらめたい。
いったんは
「あきらかにみきわめて」
また戻りたい。
諦めずに頑張って
穴を掘り進むのも一つの方法だけど,
それが延々とできる
体力・気力の持ち主はかぎられている。
いったんはあきらめて,
縁側でお茶でも啜りながら,
塗りたくったキャンバスを眺めるのだ。
あら滑稽,と。
posted at 11:23:29

 
 
 

なにが問題かわかったら,
そこから少しずつでも
次の展開をかんがえてゆける。
解決はむつかしいかもしれないけれど,
少なくともできることはある。
でも,なにが問題かさえわからなければ,
それがわかるまで暗中模索をくりかえすしかないんだ。
ああ,問題に気づくことのうれしさよ。
posted at 11:30:08

 
 
 

今日は
「見えるものを通して見えないものを見る」
という発見を手帳に書き記しておこう。
葉っぱの具合を通してゴーヤの調子を見る。
本の表紙を通して物語を見る。
仮面を通して人間の悲哀を見る。
見るじゃなくて想像するでも探るでもいい。
神秘的じゃなくって,
誰でもやってて,誰でもできること。
posted at 00:09:09

 
 
 

毎日ぼーっとゴーヤを眺めているだけで,
いろんな発見がある。
ゴーヤはなにもものを言わない。
けれど日々変化があり,
敏感に環世界の動向を察知している。
人間のがわにぼーっとできるだけの気持ちの余裕と,
ほんの少しの愛情があるだけで,
見えるものは大きく変わるんだなあ。
やはり頭の外に思考がある
posted at 06:16:43

 
 
 

シエスタなう。断固シエスタなう。
posted at 12:13:51

 
 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【水無月】 身体という楽器    

 
 
   
 

傘からうまれるドラマが見てみたゐ。
posted at 13:40:30

 
 
 

どんなに大きなメディアであっても、
細かく刻んで小分けにすれば、自分への手紙になる。
それが、「新聞手紙論」なり。
posted at 14:32:58

 
 
 

アイデアを,
降りてくるのではなく,
立ち上ってくるとイメージすると,
少し違って見えるかなあ。
着想ではなく「浮想」。
よく晴れた青空に,小さな積雲が
ふわっと浮かびあがってくるように,
浮かぶアイデア。
posted at 20:23:55

 
 
 

 

気合いを入れるのではなく、
気合いを抜く。
力を込めるのではなく、
力を抜く。
そんなこころをいちばん知っていたのは、
洒脱や浮世が生きていた、
江戸時代の人々だったのではないかなあ。
最近少し、憧れる。
posted at 14:54:42

 
 
 

なるべくいいイメージを持つことが大切だ。
イメージが形をなすまでは、
無理して描きだす必要はない。
その反復によって、
無意識に定着させることができてくる。
あたまと現(うつつ)のキャッチボール。
posted at 15:05:54

 
 
 

日溜まりのような時代をさがしていた。
戦乱と天変地異に明け暮れる歴史のなかで、
ぽっかりとあいた平穏な時代。
また嵐がくることを薄々知っていながらも、
人々は平和という美酒に酔いしれている。
その酒は、芸術にもなるし、
悪酔いするだけのまずい酒にも変わる。
posted at 13:54:19

 
 
 

がんばることは大切なことだけれど、
がんばり方を間違えてはいけない。
「がんばること」それ自体が限りある資源なのだから、
それをどのように活用するのか、
どの方向に向けるのかをちゃんとかんがえなくちゃなあ。
posted at 01:17:06

 
 
 

がんばることは、
「がんばること」という資源を
どのように活用していくのかを
かんがえはじめることによって、
はじめて具体性を帯びる。
スポーツの現場で使われやすいのは、
その方向性がはっきりしているからだろうな。
posted at 01:21:04

  
 
 
 

効き目には個人差があることはもちろん、
個人のなかでも、
加齢やストレス、運動量の変化などによって
「証」は変わってくる。
そういう考え方は、
オーダーメイド医療の先をいっているのかもしれない。
個人の体質ですら、無常なるこの世界。
posted at 01:49:19

 
 
 

社会にせよ人体にせよ、
外から見ると何も変わっていないように
見えるから厄介なんだ。
福岡ハカセは
「お変わりありまくり」
と表現していたけれど、
内がどんなに劇的に変化していても、
表面的には変化が見えない。
そこから美しい蝶が生まれてくればいいのだけれど。
posted at 02:02:44

 
 
 

はじめから安定しているのではなくて、
不安定なものだからこそ、
バランスを取ろうと努力する。
その継続のなかで得られた安定は、
もとから安定しているものより強いのではあるまいか。
posted at 21:47:46

 
 
 

古今東西,
人々は労働のなかで歌をうたい
連帯感や団結力を高めてきた。
運動のときに音楽を聴くと心地良いのは,
それに近い感覚なのかもしれない。
しかし,一人孤独のなかで座して勉強することからは,
歌はうまれなかったんだろうな。
勉強歌。
posted at 01:44:38

 
 
 

「こころをフォルテに,からだをピアノに」,
しばらくはこれでいこう。
posted at 12:55:30

 
 
 

新しいものを創りつづけるということは,
過去とつながるための一つの方法なんだなあ,
と最近かんがえたのだった。
posted at 14:08:04

 
 
 

「あり合わせのもので何とかする」
というブリゴラージュの視点からモノゴトを見ていくと,
学ぶべき対象はおのずと変わってくる。
大津波の難を逃れたあと,
助けがない中で何日間も飢えをしのいだ集落の人々にあって,
モノが有り余る大都会にないもの。
posted at 23:41:02

 
 
 

情報は、忘れたころに、役に立つ。
posted at 16:09:05

 
 
 

テレビや新聞から流れてくる情報が、
少しずつ緩んできて、
震災からしばらく続いた緊迫感や被災地への意識が薄れつつある。
否応なしに時間は過ぎてしまうものだから、
常日頃から繋ぎ止める努力をしておきたい
(ちまちまと募金するとか)。
まだなにも消化できていない。
posted at 19:50:58

 
 
 

おそらく研究者にとって、
放射性物質は実験室にある限り
「目に見える世界」
だったのだろう。
ある程度、挙動が想像でき、再現可能な世界。
でも、いったん自然や社会のなかに漏れでたとたん、
それは
「目に見えない世界」
に逆戻りしてしまった。
参照できるデータも、
測定できる範囲も限られている。
posted at 15:22:41

 
 
 

「スケッチ」が好きだ。
よく見、よく歩いた人々は、みな膨大な量のスケッチを残している。
宮本常一、梅棹忠夫、エドワード・モース・・・。
そこには学問の結論ではなくて、
豊かなプロセスが遺されている。
いまは、「絶えず書く人」
辻邦生さんのスケッチを読んでいる。
posted at 17:53:49

 
 
 

身体という楽器を鳴らす。
posted at 18:28:49

 
 
 

野菜を育てるというよりは,
土壌を育てる。
土壌を育てるというよりは,
微生物を育てる。
微生物を育てるということは,
目に見えないものの変化を絶えずイメージする。
その方法を,いろんなことに使えないかなあ。
posted at 18:01:32

 
 
 

「頑張る」や「我慢する」ことの前に、
「うまく回すこと」
「やわらかくする」
ことを心がけたい。
「頑張る」ことは、心がける以前に、
すでに染み着いてしまっているから。
posted at 21:31:10

 
 
 

こころをフォルテに、からだをピアノに、動きをスラーに・・・
posted at 00:54:06

 
 
 

「言ってしまえば,「自己を超え出る」ことの経験です。
「物見遊山」とは,じつは,もともとはこういう意味でした。
しかし,いつのまにかたんなる遊び・娯楽となってしまいました」
http://inamasa.blogspot.com/2011/06/blog-post_27.html
posted at 13:46:38

 
 
 

愛情をもつとサインに気づく。
しかし愛情を注ぎすぎると根腐れする。
永遠の難問。
posted at 13:58:27

 
 
 

近所の子どもも言ってた。
さよなライオン
posted at 20:10:43

 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【皐月】 あの頃の原発

 
 
 
 

でも、何かを「情報化」しようと欲した場合、
世界に溢れているさまざまな情報を細かく分けていくことは、
とても効果的な方法だと思う。
いったん縮ませてから、また膨らませてる。
バッハもデカルトもそれをした、たぶん。
posted at 06:12:38

 
 
 

いま、押し潰されそうで、
踏み倒されそうで、
逃げ出しそうな一本の葦のなかにこそ、
次の未来は詰まっている。
どうか無造作に踏んでしまわないように。
気がつかないうちに潰してしまわないように。
posted at 21:53:29

 
 
 

聴きはじめた当初は、
ブラームスの重苦しく
デモーニッシュな響きが好きだったけれど、
いまはスキップするような
軽やかなリズムにほっとしている。
華やかな明るさはないけれど、
心の底から湧きでる喜びがある。
posted at 17:10:32

 
 
 

もっと動きを,ということは,
もっと音楽を,ということなんだろうなあ。
モノや生き物の物理的な動きだけでなく,
そこに見え隠れする感情の機微までも感じること。
それを見事に紙に定着させていたのが
近藤喜文さんの『ふと振り返ると』という画集だった。
いつもいつも,それを思いだす。
posted at 03:59:54

 
 
 

たぶん,対象としてモノを見ている限りは,
そこに感情の揺れみたいなものまで
含めることはできないんじゃないだろうか。
音楽のように,
人のこころの動きは一瞬にして変化していく。
その瞬間ごとに感情の揺れがあって,
動きがある。
近くで具体的に,それを感じることができなければ,
動きは描けない。
posted at 04:07:25

 
 
 

読んだことのない本を,
あたかも読んだ風に語る。
読んだことのある本を,
そんな本の存在すら初めて知った風に語る
(『私的読んでない本について堂々と語る方法)。。
posted at 10:00:10

 
 
 

軽やかに髪を切り揃えていく床屋さんの動きには音楽がある。
速やかに魚を捌く料理人の動きにはは音楽がある。
滑らかにキーボードを叩くタイピストの動きには音楽がある。
動きのなかにある音楽性を、見つめたい。
posted at 00:06:33

 
 
 

ぼくは,
朝日新聞の紙面でもっとも大事なコンテンツは,
と聞かれたら
(そんなこと聞かれることはないけれど)
躊躇なく
「ののちゃん」
と答えたい。
9.11のときも3.11のときも,
まつ子は相変わらず残り物に悩み
たかしは日曜大工に失敗し,
のぼるは野球部補欠で
ののちゃんの小学校は自習だった。
posted at 00:41:51

 
 
 

「どういうことを書けば小説になるのか,
ということだけはいつも考えている。
小説家でなかったら私は
そのようなことを考えるのに歓びを見いだすことはなかった」
(110324 保坂和志 朝日)
posted at 02:07:08

 
 
 

水素爆発につづく寒々とした現実の渦中では,
原子力は使わないほうがいいとしか言えないけれど,
そのなかでも,
原子力の平和利用が始まったころの夢の跡形のようなものを
かすかに感じとれるようにしておきたい。
あの頃人々が原子力に抱いていた夢はなんだったのか。
そこから科学史がはじまる。
posted at 00:57:19

 
 
 

いま必要になっているのは,
新しい情報を新聞しながら,
そのたびに旧聞の前提を動かしていくことかもしれない。
ふだんは,そこに
「ジャーナリスト」と「学者」
という棲み分けがあるのだけれど,
いまは双方の思考を一人の人間のなかで
使い分けなければならない,
という面倒くささがあるような。
posted at 01:33:54

 
 
 

雨の降る日は傘が増える。
傘のリズムが街を覆う。
空は曇って灰色だけど,街は傘のお祭りだ。
ひと肌濡らす雨粒も,傘にとっては嬉しかろ。
大漁大漁たいりょうだ。
posted at 15:37:19

 
 
 

美術についてかんがえるとき、
まず出発点にしたいのは、
対極にある音楽という芸術だ。
美術は具象から発して抽象に達した。
音楽は抽象から発して具象に達した。
両者が交差する場所に、いちばんの魅力を感じる。
美術にとっての音楽、音楽にとっての美術。
posted at 04:01:44

 
 
 

何も知らないときは,
何も知らない。
少し知ったあとは、
「知ったかぶり」をして偉ぶってみる。
もう少し知ると、
「なんだか難しそう」と放っておく。
深く知ってしまうと
「何も知らなかったこと」にボーゼンとなる。
ぽぽぽんぽん。
posted at 18:58:00

 
 
 
 

視点をずらすと,
いろんなことが見えてくる。
視点をずらさないとかんがえは硬直する。
ずらそう,ずらそう,わたしは元気。
posted at 00:13:19

 
 
 

無意味の中から意味が生まれる。
使い旧した意味は無意味に還っていく。
無意味という大海原のなかを,
意味が泳いでいる。
posted at 00:15:41

 
 
 

子どもを第一にかんがえたら面倒になるから,
こども心を第一にかんがえてみる。
posted at 00:20:21

 
 
 

「マッド・サイエンティスト」
という言葉があるけれど、
やっぱり研究者は自分の好奇心や使命感にしたがって
行動している姿を見る方が、安心できる。
どんな深刻な事態のなかにも、
発見の喜びや驚きを感じてしまうのが
研究者の性ではないだろうか。
不謹慎だけど。
posted at 03:11:20

 
 
 

ときには書物という形式のほうが,
情報を動かしやすいことがある。
本は飛ぶ。
情報をのせて時空を越える。
posted at 12:18:57

 
 
 

外の世界から来る人々は、
かならず外の世界と出会う。
たとえ村社会のように閉ざされた空間であっても、
外の世界から来る人々がいる限り、
外の世界としての機能を果たしつづける。
posted at 15:45:25

 
 
 

目標をおもいっきりちっぽけなところにおいてみたら、
かえって楽に頂上まで登れるかもしれない。
山登りは
「いつのまにか着いていた」
がいちばんいいんだよな。
posted at 15:14:00

 
 
 

ほんとに人は,いろいろだ。
まっさらな紙を渡されて,何も描かない人がいる。
隙間なく埋め尽くして,真っ黒にする人がいる。
カミヒコーキにして遊ぶ人がいる。
几帳面に半分に折って閉まっておく人がいる。
ほんとに人は,想定外だらけにいろいろだ。
posted at 19:18:57

 
 
 

あらゆるところに音楽はあるのだ。
こころに律動がある限り。
Mein Reich ist in der Luft.
posted at 22:19:19

 
 
 

あたらしいデザインをつくるときは,
なるべく緩く透き間を与えて,
新しい風が入ってきやすいようにつくるといいのかもしれない。
いちばん優れたデザインは真っ白な紙。
そこにつけ足していくのではなくて,
そこに戻っていくイメージ。
溜まってしまったものを,消していく。
posted at 01:09:37

 
 
 

日曜日のNHKアーカイブスで
棟方志巧がわたくし(ベートーヴェン)の事を口にしていた。
「創作の根っこにあるのは哀しみ」
という言葉にも共感。
棟方志巧の速さの中に,知性を感じる。
これから棟方さんに影響を受ける予感。
嵐の予感。
Gewitter und Sturm
posted at 12:49:02

 
 
 

「たぶんですけれど、被災地でも恋をしています。」
by 「今日のダーリン」
posted at 20:00:05

 
 
 

まだ読んでもいないのに,
『ジョルジョ・モランディ』
のコピーを思いついた。
「繰り返されないこの世界で,
繰り返されることの歓びをうたう」。
あした読みだす予定。
posted at 20:59:51

 
 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【卯月】 揺れる日々

 
 
 
  

とうとう
「ぽぽぽぽーん星人」は
その蝉のように儚い生涯を閉じてしまつたのだろうか。
真冬の夜の夢,
人々に強烈な印象を残して。
花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。
さよなライオン。
posted at 13:28:22

 
 
 
 

朝日新聞に載っていた
「かたづけ士」の小松易(やすし)さんの言葉,
共鳴するところが多い。
居間のテーブルなど
「絶対に散らしてはならない聖域」って,
大相撲でいうならば「土俵」のことだよなあ。
ほかの場所はどんなに散らかっていても,
テーブルは毎日拭いてモノを除け,
お浄めをする(←気分だけ。
posted at 23:12:00

 
 
 

「東南海地震の震源域での
小地震の発生パターンがこの10年,
1944年に起きた大地震の直前の10年間に似てきたことが,
防災科学技術研究所の調査で分かった」
(2010 12/10 朝日新聞)
posted at 23:40:31

 
 
 

「クラシックは特別なものじゃない。
かつて母親と一緒に歌ったような,
日々の暮らしのなかに息づくものなんだ,と」
(吉田秀和さん 11 1/17 朝日)
posted at 00:33:30

 
 
 

原発のニュースが哀しすぎる。
大相撲のニュースが悔しすぎる。
どちらも、言葉を失う。
posted at 22:12:28

 
 
 

現実がドラマを超えてしまっているとき,
ふだんは興奮と刺激をあたえてくれるようなドラマに,
妙に癒されてしまうということを,
地震のあと経験した。
たぶんそれは,ドラマそのものではなく,
そのドラマを見ている自分に
「日常」を感じたからだと思う。
忘れかけていた日常を
思いだしてほっとしたのだ。
posted at 15:09:46

 
 
 
 

ありふれた景色が,
ありふれていない景色にかわるとき,
ありふれていた景色が
どんなに愛おしいものだったか気づくという。
でもそんな人ばかりじゃない。
ありふれていた景色を,
日々慈しむように,
愛おしむように歩いていた人だっている。
いやむしろ,
そういう人ばかりだったんじゃないかなあ。
posted at 22:27:26

 
 
 

「とりのこされた人々」は,
被災地にだけいるわけではないよなあ。
この一ヶ月,テレビから続々と入ってくる
復旧・復興の映像を見ながら,
いつの間にかとりのこされてしまった
人々もたくさんいるように思う。
圧倒的な被害状況にことばをなくしたまま,
もの凄い速さで時が流れている感じ。
posted at 13:47:48

 
 
 

帰宅したら,
連続テレビ小説「てっぱん」の
総集編をやっていて,
思わず見入ってしまう。
人間の弱く柔らかい部分を
ちゃんと描くことができているドラマだったなあ。
続編あるのかな。
笹井さんの名言集だけ編集して
ノーカットで放送してほしい。
山田組で培われた彼の演技には,歌があった。
posted at 18:05:46

 
 
 

もう一度,前提や想定を
かんがえなおそうと試みるとき,
開いてみるべき本は専門書ではなくて,
絵本やおとぎ話の世界かもしれない。
いくつもの現実が,
空想や昔話のなかで育まれている。
posted at 02:07:05

 
 
 

「それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。
誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」
と言わなければ、
原発だって浮かばれない、と」
http://bit.ly/i5Irtp
posted at 16:09:15

 
 
 

「なんとも奇妙な読書経験だった。
ぼく自身がいま生きているはずの社会と、
『ゴヤ』というテクストに描かれる社会。
その二つの世界が衝突しながら、
ふしぎに響きあうのである」
http://bit.ly/e8tKAx
posted at 16:32:15

 
 
 

地震というアラームに起こされて一日が始まる。
なんだかもう,日常になってきた。
posted at 10:53:59

 
 
 

毎日のように地面が揺れる生活にも,
毎日のようにテレビから
放射性物質の測定値が伝わる生活にも,
人は「慣れる」ことができるんだな。
ちょっと前の自分だったら
そんなこと信じられなかっただろうけれど,
いまは妙に落ち着いている。
「慣れない状態」をたもつのは,むつかしい。
posted at 16:40:05

 
 
 

地面が揺れていないとき,
地面が揺れること自体があり得ないことのように思う。
いったん地面が揺れ出すと,
いつでも揺れているような気分になる。
そんなプレートのうえで育まれた,
ぼくらの文化。
posted at 12:24:22

 
 
 

かつて,人々は凸凹した空間で生きていた。
けれどいつしか道を均し,
よく整備された空間で生きるようになった。
平らな場所で遊ぶうちに,
土地の記憶は薄れていって,
いまではずっと昔から平らだったように思っている。
でも均すことができたのは地面の表面だけで,
その下はいまでも凸凹だらけなんだ。
posted at 23:20:34

 
 
 

次々に去来しては消えていく
流れ星のような「ことば」を
定着させる訓練。
posted at 17:51:45

 
 
 

子どものころの夢は
「どでかいホームランを打つ」
という他愛もないものだったけれど,
大人になって失策に三振つづきの現実に呑まれていると,
ホームランなんていらないから,
一日一本でもいい,
ヒットが打ちたいと思うようになってくる。
運悪くアウトになったとしても,
「手応え」が欲しいと。
posted at 03:36:25

 
 
 

人々の関心は生きている。
人々の関心は生きて,揺れて,
不安と好奇心のなかを彷徨っている。
それは移り気で,掴んだと思ったらすぐに離れていって,
いつの間にか消えている。
流行をうみだし流行にながされ流行を古いものにする。
寄せては返す波のよう。
でも波の下に,いつも変わらぬものがある。
posted at 22:46:49

 
 
 

生まれてこのかた,何度か
「他人事のように言うなよ!」
と叱られたことがあるけれど,
他人事だからこそ有難く,
他人事だからこそかんがえられることがあると思う。
たとえば今回の大震災が,
すべての人にとって自分事になってしまったら,
悲哀のなかに溺れて,
身動きがとれなくなってしまうだろうな。
posted at 14:45:59

 
 
 

原発の構造は、
科学者の頭脳が産み出した原子力を、
技術者の腕が管理する、
という構図になっている。
原子力に注目するか、
原子力を覆う構造に注目するかで、
なぞるべきストーリーは変わってくる気がする。
posted at 01:56:26

 
 
 

ブラームスの母性 by ottava
posted at 13:51:53

 
 
 

明るさのなかに,
すこし哀しみがにじむ。
朗らかさのなかに,
すこし儚さがにじむ。
力強さのなかに,
すこし脆さがにじむ。
ことばの背後にある揺れ動く気持ちが,
モニターから何度も伝わってきた。
それはどんなドラマよりも劇的で,
衝撃的で,味わったことがない情動だった。
posted at 16:08:50

 
 
 

ものすごい爽やかな顔して、
ものすごい壮絶な光景を描きたい。
いやむしろ、
爽やかな顔してないと、
壮絶な光景は描けない。
そんな気がした。
posted at 19:06:54

 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,

【弥生】 いのちの慟哭

 
 
 

 
 

本棚に本をただ並べているだけで,
どんどん自分の思考が整理されていくのが分かる。
どうやらぼくにとって,
「思考の整理学」の一つは,
ときどき本棚を整理することのようだ。
ジャンルごとに分けて満足するのではなくて,
ときどきジャンルを越境させたり組み替えてみたりして,
自分の関心のツボを探る。
posted at 23:02:01

 
 

もしかしたら,
箱庭療法ならぬ 
本棚療法みたいなことができるのかも。
いままで自分が歩んできた人生の一端を,
本棚に投影することで,
今まで気がつかなかった意味が発見できる, 
というような。。
これから読む本ではなく,
これまで読んできた本のなかに,
新たな意味は埋まっているのかもしれない。
posted at 12:42:22

 
 

とらひこが「遊ぼう」って言うと 
「たく、しょうがねえな」て言う。 
「ごめんね」と言えば後ろからもふってして「かわいいよ」て言う。 
こだまでしょうか? 
いいえお兄ちゃんです。  
http://t.co/TXcpnnV 
posted at 22:00:33

 
 

何から手をつけていいか分からないので,
とりあえず地震関連のスクラップを 
スキャンして取り込んでいく。
08年5月に起きた四川省大地震。
強烈な印象が残っているこの地震でさえ,
マグニチュード7.9,
阪神大震災の約30倍の規模だった。
今回は1000倍。
あらためて規模の大きさを思い知る。
posted at 22:32:29

 
 

地震関連のスクラップで,
いちばん古い記事は,
阪神大震災から10年を目前にした
04年に開かれたフォーラムの記事。
このフォーラムには,パネリストとして,
高村薫さんも登壇している。
「あの揺れで私自身の人生はひっくり返った。
この9年間で小説家としての芯にあるものが変わった」
posted at 14:47:54

 
 

日本は,第二次大戦のとき,
2つの戦争を行っていた。
1つは世界覇権をめぐる,人と人との戦い。
もう1つは3つの大地震による,人と自然との戦い。
しかし,戦争一色に染まった当時の新聞からは,
その情報は伝わわらなかった。
地震後のメディアの反応を見ていると,
それを追体験している心持ちになる。
posted at 18:37:21

 
 

寺田寅彦は,
大事次大戦が勃発する 
7年前にこう書いている。
「思うに日本のような 
特殊な天然の敵を四面に控えた国では,
陸軍海軍のほかに 
もう一つ科学的国防の常備軍を設け,
日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが 
当然ではないかと思われる。」
(『天災と国防』)
敵は足元にいた。。
posted at 18:42:36

 
 

「不安」
という得体のしれない情動を,
もっとうまく分かち合う方法があれば,
「買い占め」は減るのではないか,
なんて思ったりする。
でも,それは緊急時にいきなりできるものではなくて,
日々の暮らしのなかで培われていくもの。
それがある被災地は
落ち着きを取り戻すのが早かったのかもしれない。
posted at 03:44:28

 
 

この一週間で,
人がこころの底から嗚咽する姿を 
何度見たことだろう。
そのすべてが,バラエティ番組でよくみかける 
安っぽい涙ではない。
気丈に振る舞おう, 
前を向いて歩こうと思いながらも,
感情を制御しきれなくなって溢れ出た涙だ。
それを見るたびに,
自分の情動の奥底が深く揺さぶられる。
posted at 21:52:33

 
 

ぼくがテレビに登壇してくる
「科学者」
という名の専門家に感じてしまう違和感は,
その冷たさにあるんだと思う。
心配ないということが正しいとしても,
今その情報を死活的に必要としている人々は,
地震や津波で大きな被害をうけ,
避難生活や不安のなかでの生活を
よぎなくされている生身の人間。
posted at 23:52:38

 
 

たとえば,
テレビの専門家が言う
「心配ない」の一言を,
かわりに,今は亡き 
車寅次郎さんに語ってもらったら,
それだけで胸のつかえがおりる人が 
たくさんいると思う。
専門家には,「非科学的」と怒られそうだけど,
でも,いま起きていることは 
実験室のなかの出来事じゃない。
生身の人間と自然が相手。
posted at 23:58:50

 
 

いまの時代は選択肢がありすぎる、
といって嘆くことがあるけれど、
福島原発のように 
選択の余地がない状態に追い込まれると、
いろんな選択肢があることが、
どんだけ有難いことかがよく分かる、
なんてことをかんがえる眠れない夜。
posted at 04:12:26

 
 

ひさしぶりに、遠くまでサイクリングをする。
テレビの中の光景が嘘のように、
初春の青空のもとを子どもたちが飛び回っている。
被災地の光景を見るたびに、
子どもが希望の燭のように思えてくる。
posted at 16:56:27

 
 

ねこをなでると、こころをねこになでられる。
posted at 17:02:50

 
 
 
 
 
 
 

カテゴリー: 日記 | タグ: , ,